この子たちが住んでいる村は下の写真。
視界360度のうちほとんどが砂漠の地平線で、残りは海。
10月末で「涼しくなって」40℃に届こうかという気温。針が振り切れるとわかっているから気温計は持って来ていない。
明日食べる物はありそうにない。
ニワトリが走っているのは見たけれど、それ以外に何かあるんだろうか。
古い井戸はあるけれど、塩分が少し入っていて本当は飲んじゃいけない。
という場所だということを僕は事前に知っていた。
でも子どもたちは笑っている。
なぜ笑うことができるんだろう。
「心が豊かなら」なんて言葉ではとても説明がつかない。産まれた赤ちゃんも結構な割合で死んでいるのだ。
でも子どもは笑う。
多分、深い理由は、無い。
見知らぬ人間が「こんにちは」と現地語で話しかけたら、健全な子どもならそりゃ笑うだろう。
でも、「なぜ笑えるんだろう」という疑問はずっと残った。
一つわかったのは、キャンペーンのポスターによくあるような、いかにも惨めで悲しそう〜な顔をした子どもの写真は、自分には撮れない、ということだ。
そういう子にレンズを向けることに対する後ろめたさや引け目から撮らないのではない。きちんと挨拶して、一枚撮っていい?と聞くと子どもは必ず笑うのだ。
السلام عليكم
こんにちは
ちょっと地の果てまで行ってきました。
アラビア半島の南西端のあたりです。
海岸近くの村で、すげぇ貧しい村があります。ここに給水網を作って、各集落の集まりやすい場所に公共の水場を作って、蛇口をひねれば水が出るようにする、というプロジェクトがあります。自分の心の中ではそれをやると決めていて、今回の訪問では水質やら給水網の設計図やらの確かめ、工事責任者との顔合わせとかをしてきました。
上の写真はその空き時間を利用して撮ったもので、詳しい地名や人名等は仕事の内容に関わることなので伏せておきます。
貧しさにも色々あります。
金銭的な貧しさ
人間関係に起因する貧しさ
時間的な貧しさ
健康に関わる貧しさ
健康に関わる貧しさのうち、水が手に入らない、というのは最悪の部類に入ります。援助の形態や内容にも色々ありますが、自分が今しているこの仕事では、とにかく水を大切にしようと思って取り組んでいます。年度の中で、「こういうプロジェクトが必要なんです」という申請書が集まってきます。そのうち、これは必要だと思われるものや色々な事情からプロジェクトを選定し、本当に現地の人にとってこれは必要だと判断されるプロジェクトに対しては現地訪問、その後実行に移します。
涼がたまに行っている業務出張はそういう目的があります。
実際には写真の村に給水するという今回のプロジェクトにも技術者、土木作業者、工事監督、経理等々色々な人が関わるわけで、自分はその中で歯車の一つにしか過ぎません。でも自分という歯車が無ければこのプロジェクトが始まらなかったという、そういう歯車でいることができるなら、自分はそれで良いと思います。
首尾よく行けば来年の今頃には、この村の中で、蛇口から水が出る。そうしたら笑ってくれたこの子たちにも報いることができるのかなと思います。
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-Ryo Nagai-
△ブログ: http://ryo-nagai.blogspot.com/
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